私は元々、自分で自分を大切にする「自愛」という考え方が好きでした。
画期的だし、理にかなっていると思うのです。
でも、どうも上手く実践できずにいました。
1年くらい前にこちらの記事を見つけたときも、最初は「すごく良い記事を見つけてしまった…!」と興奮しましたが、内容をすっかり忘れていました。
そして、ふと思い出して1年ぶりに読み直したわけですが、今だからわかることもたくさんあり、以前読んだときよりも腑に落ちました。
自愛とわがままの違い
私が一番引っかかっていたのは、自愛をすることでわがままに思われるのではないか?という点です。
別の方が書かれた自愛本に「まずは自分を愛さなければ、他人を愛することはできない」といった内容が書かれてあるのを読んだことがありますが、そのときはなんとなく腑に落ちませんでした。
以前、この考え方を実践しようとして彼氏と喧嘩になったことがあります。
今考えるとしょうもない内容なのですが、料理が苦手な私が「楽しくないと料理したくないから口うるさく言わないでほしい」と主張し、彼氏は「せめて努力しようとする姿勢を見せてほしい」と主張し、喧嘩になりました。
このときの私は「楽しくない料理をするのは嫌だ」という本音を通すのが自愛なんだと思って行動していましたが、先ほどご紹介した「幸福の自己責任論」では違います。
後味の良い行動をしていきましょうという話なので、周りの人も大切にしなくてはいけません。
たとえ自分の本音が通ったとしても、周りの人の意見を無視するのは、後味が悪いから間違っているようです。
だから、本当の意味で自分を大切にするということは、わがままとは対極にあるということを知りました。
自分を不幸から守る
こちらの記事では、不幸から自分を守るタイプの自愛のあり方について考えさせられました。
私が思うに自愛って、
①不幸から守る
②幸せを追求する
③周りに幸せを分け与える
この3段階から成り立っているのではないでしょうか。
今まで私が読んできた自愛本などは、②の内容がメインだったように思います。
世間に広まっている「カフェでまったり♡」「欲しかった服を自分にプレゼント♡」などの自愛は②ですよね。
でも、①ができていないのに②をやろうとしても、自愛的には意味がないと思います。
一時的に目をそらすことはできたとしても、またすぐに問題(=不幸)と向き合わなければなりません。
だったら、その問題と向き合って解決していくことが先だと思うんですよね。
不幸を見て見ぬ振りするのは、幸せを詰め込む袋に空いた穴を放置しているようなものです。
確かに、①はすごく地味な作業です。
②みたいに派手じゃないし、誰かに自慢できるような内容でもありません。
それ故にあまり注目されていないけど、私はここができていなかったなと気付きました。
自分の幸せに責任を持つ
私は今まで、悪い意味で他人に期待していました。
特に恋愛面では、「恋人」という存在が私を幸せにしてくれるのだろうと勝手に思い込んでいました。
とはいえ、自分で自分を幸せにすることが最も手っ取り早く正確だということは知っていました。
ですが、私はそれを認めたくなかったのだと思います。
だって、自分で自分を幸せにするってことは、それなりの行動や努力が必要だから。
そんなのは地味で面倒くさいから、華やかな相手からの愛を望んでいたんですよね。
でも、いい加減目が覚めました。
本気で幸せになりたいのなら、それ相応の覚悟が必要なのに、そこから逃げてばかりいる自分。
自分を不幸にしているのは紛れもなく自分でした。
そろそろ腹をくくって、自分を幸せにしてあげようと思います。