私の中で「自分磨きがしたい欲」と「ありのままの自分を大切にしたい欲」が高まり、その狭間で気持ちが揺れ動くときがあります。
「ありのままの自分を認めてしまったら何も状況が良くならないのではないか?」という不安と「ずっと自分に満足できないままで幸せになれないのではないか?」という不安とで板挟み状態になります。
どちらかを切り捨てるなんてことができないのは、実は両方正しいからなのかもしれません。
バランスが大事説
以前、図書館で借りて読んだ「悩み方のレッスン」という本に書いてあったことなのですが、幸せには愛と自分らしさが必要みたいです。
しかも、その2つはバランスよく存在しないといけません。
どちらか片方が大きすぎたり小さすぎたりしてはいけないのです。
ちなみに「愛」とは愛を獲得することなのですが、私はこれを自分磨きと結びつけて考えました。
何故かというと、自分磨きも愛を獲得するための行為だからです。
この本によると、自分の中にも「他人の目」のようなものが存在し、本物の他人以上に厳しい目で常に自分のことを見ているそうです。
自分の中の「他人の目」と本物の他人から愛を獲得することで幸せを感じることができます。
自分磨きの目的が自分のためであっても他人のためであっても、どちらにせよ愛を獲得することに繋がると思うんですよね。
それに加えて、自分らしさも大切にする必要があります。
つまり、どちらも同じくらい大事だということをこの本から学びました。
自分磨き=自分を大切にすること説
もう一つ、私が考えたことを紹介させて頂きます。
まず前提として、存在価値と能力価値とを分けて考えます。
存在価値が高いということはそこにいるだけで価値があるということで、能力価値はスキルなどの+αの価値です。
私たちはついつい能力価値ばかりを見て「自分には価値がない」と思ってしまいがちですが、元々の存在価値は想像しているよりもずっと高いはずです。
自分磨き=能力価値を伸ばすことなので、ありのままの自分を大切にする=存在価値を認めることと両立できます。
更に別の見方をすると、本当に自分のことを大切にしているのなら、悩み事に対して少しでも改善される方法を知っているのに放置なんてするわけがないですよね?
ほんのわずかでも改善される可能性があるのなら、大切な自分のために行動するはずですよね?
例えば、自分の言動が原因で好きな人と仲が悪くなってしまったとすれば、自分の悪いところを直そうとします。
それを「自分磨き」と呼ぶのではないでしょうか。
つまり、自分を大切にすることで自然と自分磨きをするようになるのではないか、ということです。
自分を大切にすることの中に自分磨きが含まれている、とも言えます。
自分を磨くこととありのままの自分を大切にすることは一見正反対のように見えますが、結局のところ、どちらも必要でどちらかを切り捨てるなんてことは不要だし、そもそもが無理な話なのだと思います。